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備忘録的な

突然の父の死、大きな悲しみのショックから立ち直るまで

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人は生きてる限り、いつの日か悲しみのどん底に突き落とされる事があります。

 

そのうち、誰しもいつかは必ず経験するのが愛する人との今生の別れです。

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備える事はできないと思いますが、わたしの経験と立ち直ってくるまでにしたことが同じ経験をされている方の参考になればと思い、記事にします。

 

そろそろ葬式をする日がくるとは想像してた

父は最近まで、電話や会って話をしたりする限り、元気そうに見えていました。

 

実は、十数年前に大腸がんで大手術をしていました。その時かなり心配しましたが、手術は成功して元気に退院したんです。

 

その後の検査もずっと順調で、血液検査の数値も良好だったと聞いています。

 

完全に安心してました。

 

とはいえ、昔のように旅行に行くとか、趣味の絵画をするとかを徐々にしなくなったと聞いていました。やっぱり歳とともに体力も気力も衰えていくものなのかなと思ってました。

 

そうなってくると、いつかは亡くなる日がくるんだろうなと想像はしてました。どうなるのか分からないけれど、もしそうなったらどうしたらいいのか分からないな。

 

無意識的に、そういうことを考える事から逃げてたんだと思います。

 

そう言えばもうすぐ80歳、元気にしてるのかな?とたまに電話をしてました。そうするといつもの軽い調子で冗談を言ってますし、安心してました。

 

後で知ったのですが、実際には大腸がんの手術の影響で、自宅での生活は大変だったようです。そういう所を一切見せない人でした。

久しぶりの連絡は余命1ヶ月

ある日突然に、父ではない人から、検査入院の結果が大変だから連絡したらと言われました。

 

びっくりして父の携帯に電話をしたらいつもの軽い調子で電話に出ました。

 

ただ、「肝臓ガンだ」と聞きました。「別に肝臓なんて少しでも働いてたら大丈夫やから」と言って、「大げさにせんでいい、来なくていい」って言われました。

 

それを聞くと、肝臓ガンなのは残念だけれど、これから治療したりしていくんだろうなと思ってたんです。

 

ところが医師から直接話を聞いた人によると、「末期の胆管がんで持って3ヶ月」と聞きました。

 

治療はできない状態だったので家に戻ったそうです。

 

それでも大人しくしていなかった父は、自転車に乗ってどこかへ行こうとして、自転車に乗ったまま頭から倒れて自力で動けなくなったんだそうです。

 

健康な我々でも自転車に乗ってて頭からまともに倒れたら、相当なダメージでしょう。下手をしたら我々でも死ぬかもしれません。

 

「自力で動けない=家で生活できない」ので、入院することになりました。

入院時の診断は余命1週間

胆管がん特有のものかも知れませんが、転倒したダメージのためか分かりませんが、余命1週間と言われたようです。

 

かといって、今すぐか、3週間先に亡くなるのか、ここまでくると医師にも分かりません。まさに、神のみぞ知る領域です。

 

病院へついた時はすでに意思の疎通ができない状態になっていました。1ヶ月半前にはしっかり話をしていたのに、もう言葉を発することができなくなっていました。

 

ただそこには、痛みに苦しむだけの父の変わり果てた姿がありました。恐ろしい速度で衰弱していくんですね、胆管癌は。

病院から「あと10分ぐらいでしょう」と連絡が

家に戻っていた私へ連絡がありました。とうとうこの時が来たかと思いました。

死亡の連絡を受けてから、葬儀会社とお寺へ連絡、2時間はあちこちに電話をし続けました。

 

その病院には死体安置所が1体分しかなく、すぐに引き取って欲しいと言われました。他の選択肢として、火葬場の安置所か、自宅へ運ばないといけません。

 

病院にそういう設備がほとんどない場合があるというのは初めて知りました。

お葬式でははばからずにに泣きました

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昔からあったいろいろな事がとめどなく思い出されます。

 

まさか自分(父)の胆管癌でこんなに早く死ぬなんて、本人もさぞ受け入れがたかった事と思います。その気持ちを想うと、私も悔しいし、父が可哀想でたまらないです。

 

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目の前の動かぬ父は、やがて火葬場へ運ばれます。1時間ほどのちに、わたしたちは父の骨と対面することになります。受け入れたくなくてもどんどんと葬儀は進んでいって、骨という形で死の事実を見せつけられます。

 

葬儀会社の司会者の言葉、BGMによって悲しい気持ちは引き出されとめどなく涙があふれてきました。

 

葬式は、その人の死という事実を受け入れるために重要です。

仕事はしてましたが家では酒にひたってました

普通の日常に戻りましたが、父の事を考えたり、昔の事を思い出してました。

 

家ではあまりの悲しみの強さのため、何もする気になりませんでした。だから、ブログも放置状態となってました。

 

わたしが単身赴任で一人暮らしをしている事もあるかもしれません。その事について話を聞いてもらえる相手がいないからです。

泣ける動画をネットで探しまくりました

どうやらわたしは十分に泣けてないということに気付きました。

 

今は、YouTubeでも探せばいろんなタイプの泣ける映像を見ることができます。

 

泣いた分だけ悲しみの辛さが減っている事に気付きました。

 

たぶん、わたしはもっともっと悲しみを押し殺して今生きているんだと思います。悲しくても、わたしはこういうベタな動画を見ないと泣けないからです。悲しければそれだけで泣くのが自然ですよね。

悲しみをためている人はとにかく泣こう

理不尽な仕打ちだったり、愛する人との別れだったり、悲しくて辛い状態では積極的な行動ができません。

 

そういう人には、周りの人も何かを感じて遠ざかっているのではないかと感じます。

 

涙を流せれば流せるほど、事実は変えられなくても、あなたの気持ちを軽くすることはできるかもしれません。